龍光山 願生寺

龍光山と号し、本尊は阿弥陀如来で天文元年(1532)僧明願の創立で慶長二年(1597)僧了順これを再興した。
昭和二十五年三月火災により本堂消失、同年現本堂が再建された。
本寺は大坂陣に徳川の臣、安藤正次が自盡し、正次の子正珍葬所に五輪の墓碑を建て、當寺を菩提所とした。

 

「平野郷 大阪市編入五十周年誌」より転載

参考年表

天文十二年(1543) ポルトガル船が種子島に漂着し、鉄砲が伝来
天文十五年(1546) 足利義輝が室町幕府十三代将軍に就任
慶長 五年(1600) 関ヶ原の戦い
慶長二十年(1615) 大坂夏の陣、豊臣氏滅亡

  • O 真宗大谷派 願生寺
  • 大阪市平野区平野東2-2-17
  • TEL06-6791-5392
   

安藤正次墓所

安藤次右衛門尉正次は禄高二千石の旗本で、大坂夏の陣には御旗奉行として徳川秀忠に直属し、元和元年(1615)五月七日の大坂城落城直前、秀忠の使者として前田利常、本多康紀両軍に、敵陣へ肉薄するようとの命令を伝えた。
そのとき、数騎の敵兵に出会い、単身馬を進めて戦い豊臣方の首級をあげたが、自らも深手を負い、家来に助けられて戻った本陣で、秀忠から高名したと賞され、宿所である平野の願生寺に送られて、傷の療養に努めていたが、再起不能を悟り、十九日自刃した。享年五十一、浄徳院釋了栄とおくり名された。
五輪の墓塔は世子正珍(まさよし)が、平野郷を囲む環濠の土居上の建て、願生寺を菩提寺とした。
元禄十四年(1701)に曾孫定房が寄進した盥盤(くわんばん)は背面に正次の伝記体を刻した他に例を見ない珍しいものである。

平野東1丁目7在 現地案内板より転載

   
   
大阪市規格葬儀取扱指定店・経済産業大臣認可 全葬連加盟 有限会社 湯谷葬祭
547-0044 大阪市平野区平野本町4-11-17 TEL06-6793-3221
瓜破斎場での直葬(火葬のみ):平野区|東住吉区|住吉区|住之江区|生野区|阿倍野区|天王寺区|                          西成区|浪速区|松原市|羽曳野市|藤井寺市|八尾市